ボランティア仲間シリーズ1

河北卓也・・・ 農業指導ボランティア 1997年10月~1998年2月

冬のムスタン 冬のムスタン(聖地ムクティナートの帰りジャルコットより)寒いが雪は少ないムスタンに久しぶりの大雪・・・

近藤先生と出会って、僕の人生が少し変わったように思います。自分が社会に出て、出会えなかったであろう人々との出会いを先生が作ってくれました。

やはり、ジョムソムで出会った仲間、鴇沢さん、増子さん、百瀬さん、出永さん、田中先生、チャンダイ、ニルマラさん、テンジンダイその他多くの先輩に出会えました。帰国してからもMDSAを通して、多くの人生の先輩に出会えました。

ここにジョムソムで出会った仲間と農業ボランティアとしてジョムソムで4ヶ月生活した時の感想を綴りたいと思います。


僕が何をしにジョムソムへ行ったのか、農業指導?僕には、そんな技術はっきり言ってありませんでした。どうしたら良いのか、考えた末、シャン農場長のソ-ナムさんと全ての仕事を相談したうえで仕事をしていくことにしました。ジョムソムの気候、習慣、すべてが初めての世界、まさしく右も左も分からないままスタ-トを切ってしまったのです。

ここの環境は、ダウラギリとニルギリの間に流れるカリガンダキ川の河原にできた小さな町で、午後からは風速10m以上の風が吹く寒くて、寂しい町でした。

しかし、なんといってもニルギリは美しい、標高7061mもあり北壁の険しさは息を呑むほどの絶壁、毎日ヒマラヤの側で生活が出来るなんて幸せでした。

ここは、木も無く、草もあまり無い、乾燥地帯でいたるところに岩があって、火星じゃないけどこんなところで生活ができるのだろうかと心配してしまうほど、大変な環境でした。

毎日、30分かけて農場に行きました。蕎麦の収穫の最中で、忙しい日々が続きます。そのなかで、僕は一人の助手、ビリンドラ タカリ-とほうれん草、トマト、水菜、大根、からし菜、などの種を播きました。ビニ-ルハウスのなかなので、比較的成長も良く、路地では、収穫が終わってしまったトマトなども、収穫ができて、すこし高値で取引されたことは嬉しかった思いでです。水菜で作った、一夜漬け、鴇沢さんに教わった一品でした。

1997年12月9日からの大雪、凄い雪だった、飛行機は飛ばない、それもそうだ滑走路が雪に埋まってしまって、着陸が出来ないから、このときは本当に参った。一週間くらいは飛行機も来ず、電気も無くて大変な体験をさせてもらったあんな体験はもうしないだろう。

ジョムソムにスタッフとして滞在するということは、ジョムソムに近藤先生を訪ねて来られる方々の案内、接客もしなければいけないことを知りったのは、到着した次の日でした。接客などしたことが無かった僕に色々教えてくれたのが、同じ屋根のしたで生活する仲間でした。年齢はバラバラ、生まれも育った町も違う人たちと上手くやっていけるかが、もうひとつの課題でした。

鴇沢さん(測量の専門家)、増子さん(学校の先生)、百瀬さん(家畜専門)、出永さん(看護婦)、田中先生(機械専門)、そして、ぼく河北は農業なんですけど、僕だけが頼りない存在。しかし、自分なりに頑張りました。形には残らなかったかもしれないけど、ネパ-ル人スタッフ、日本人スタッフの心の中に僕の存在は残ってると思います。

ボランティアの難しさ、自己満足じゃなく、この谷に住むすべての人々の役に立てる仕事がしたい。その為には、もっと勉強して、農業体験を積んでここに来るべきだと感じました。

小さな町だからこそ、自分たちの行動にも責任を持って、日本人として恥ずかしくない行いをしたいと思います。お金を渡して、それでボランティアをした気持ちになるのも一つの手段だと思いますが、だったら一度でいいから自分の足でその現場にいって、自分の目で現状を確認してからでも、良いと思います。

ぜひ、現場に行って、近藤先生の長年かかって築かれたものを見てほしい。大雪と砂埃にまみれた4ヶ月の思いでは、一生消えること無く、僕の人生の肥やしになってくれると思っています。本当に素晴らしい体験をさせてもらいました。

本当にありがとうございました。

ムスタンの家族と大事な仲間

ムスタンの家族と大事な仲間(ジョムソン事務所にて)

前列右より

河北さん(農業)

鴇沢さん(測量)

近藤理事長(果樹)

百瀬さん(畜産)

増子さん(教育)

後列右より

ネパール人スタッフ

テンジンさん

チャンダイさん

ニルマラさん